
元職員からのたより
開苑三十周年おめでとうございます
高井睦美
和が辞して早や二十年、ふた昔前の者が今更何で……と思いましたが、三十周年の記念ということですので、あえてお祝いを述べさせていただきたく思います。
思えば、学校出たてのまだ湯気の出ていた頃の私は、はじめての職場の中で、苑児や花生の中にどっぷりとつかり、“発達保障を!”と、保護者の方々とともに学びながら日々苑児や花生から教わることばかりでした。あの頃の花生の皆はどうしているだろうかと時々なつかしく思い出しています。
私は今、ぼけても住み慣れた町の中であたりまえの生活がしたいという願いから出発した、痴呆老人のグループホーム作りをめざして、住宅地の一軒家を借りて、痴呆性老人のデイホーム「あらきのお家」を市民の手作りで今年一月末より開設しました。まだ公的助成も受けられない中での事業ですが、私の原点は、セーナー死時代につちかった困難な中で、一つずつ創りあげていくことの喜びを体験しているからだろうと確信しています。
干葉県我孫子市の知的障害者の民間小規模作業所の通所生も、「あらきのお家」に掃除のボランティアに来てくれて、交流しています。
セーナー苑の今後益々のご発展を千葉の地からお祈り申し上げます。
ワンコ先生
犬島孝昭
お久しぶりですね。『ワンコ先生』です。当時、苑生が私につけてくれたニックネームです。確か名付け親は、近藤友枝さんだったと思いますが、私にとってセーナー苑を思う時、同時にこのニックネームが一番の思い出であり、一番の誇りでもあります。
少しその頃の事を思い出すままに書きますと、当初、私は保護訓練科に所属していました。寮は『つくし寮』で当直をし、花生と食事をし、又、土・日曜日には、寮体制となって生活を共にしていました。
そんな折の事ですが、ハウスキーパーの小川さんが、衣類庫で洗濯物をたたんでおられ、花生ごとに棚を整理をしておられる所に、私が洗濯物を取り込んで運んでいくと、「そこにまたいして、ちょっとそこにねまられ」と言われ、私は何をどうして、どうやったら良いのやら……。とりあえず、手に洗濯物をかかえているの、だから、どこかに物を置くことかな?だがねまられとは、こんな狭いところで横になって寝ることかな?
まったく不可解でそのまま、キョロキョロ、ウロウロしていたのが、富山弁との出会いでした。あれから二十年が過ぎ、私の子供は富山井がじょうずですが、親の私は、まだまだのようです。
今日振り返ってみると、すばらしい苑生と職員スタッフの中を、一番明るい所だけ、セーナー苑職員として走り抜けたように思い出されます。苑生・職員の皆様方のご健康を念じつつ、今後のご活躍を念願致しております。
あの時
河地克彦
ぼくは、あの時を愛と共感の時代と呼んでいる。理想郷という我々の「福祉」は厳しい現実の中で挫折していったけれど……。
糸賀一雄や近藤益雄が好きでした。「“この子等に世の光りを”ではなく、この子等こそ光り輝くそのものだから、“この子等を世の光りに……”」すべてが光りの中にあることを知っていた人達。
みんなだって好きだった、好きな人がいた。「夢」があった。まちがいなく一人ひとりが共感する世界にいた。
その頃のぼくのノートに「夢」という詩がある。
「夢」
ぼくの大切なものは「夢」だと思っている。
生きもの、木も草でも、昆虫でも、
「夢」の中で暮らしていると感じている。
それがなければあんなに愛は深くない。
その為に争う、
それが美しいと感じる。
自然は愛であり、ぞっとして暮らしている。
「夢」の中に祈りがあると感じる。
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